立石正広さんは、創価大学に在学中の野球選手です。
先日のドラフト会議にて、阪神がドラフト一位指名を勝ち取り話題になりましたね。
おかんそんな立石正広さんを支えてきたのが、どのようなご家族なのか気になる方も多いのではないでしょうか



今回は、立石正広さんの家族構成やご両親、兄弟姉妹について詳しくご紹介していきます
- 立石正広さんの実家の場所やスポーツ一家だと言われる理由
- 立石正広さんの家族構成
- 立石正広さんの家族の職業や思い出エピソード
立石正広の実家は山口県!
防府市は、自然豊かで教育にも力を入れているエリアとして知られています。
スポーツ活動が盛んな地域でもあり、立石選手も地元の「華浦スポーツ少年団野球部」に小学1年生で入団し、早くから野球に親しんでいました。
両親ともにこの防府市の出身で、代々この土地に根差して生活してきたとされています。
家庭内でも「地域とのつながり」や「感謝の気持ち」を大切にする教育がされており、立石選手の人柄の土台になっているようです。
立石正広の実家がスポーツ一家だと言われる理由
立石正広さんの実家がスポーツ一家だと言われる理由は以下の通りです。
- 一家そろってスポーツ経験者
- ご家族から学んだスポーツに対する姿勢
- 恵まれた身体能力



1つずつ理由を見ていきましょう
理由①:一家揃ってスポーツ経験者
立石正広さんのご家族は一家全員がスポーツに携わった経験を持っています。
中には世界的に活躍したオリンピック選手の母親もいたりして、昨今の立石さんのご活躍も頷けるような家庭環境だったようです。
バレーボール日本代表としてバルセロナ五輪などで活躍した母・郁代さんには
「上には上がいる。そういう時は練習するしかない、と口癖のように言われてきた」という。
「そのおかげで、一瞬も満足した瞬間はなかった」と、謙虚ながら向上心あふれる性格が育った。
92年に開催されたバルセロナ五輪で活躍した母の郁代さん。
今後の活躍を期待して、立石さんにエールを送りました。
母の背中を追って、立石正広選手の五輪での姿も見ることができそうです。
理由②:ご家族から学んだスポーツに対する姿勢
阪神のドラフト一位指名を勝ち取るなど華々しく世間からの注目を浴びる立石さん。
しかし彼の幼少期はけして体の強い子供だったわけではなかったようです。
当時のコーチによると、食が細く乗り物酔いもする子だったが、
バネのある走りと運動能力は高く、両親譲りの運動神経が感じられた、という。
けして最初からフィジカルを持ち合わせていたわけではなく、それでも持前の運動神経やご両親の支援を糧に努力を重ねた結果今があるのだといいます。



ご家族一丸となって頑張ってきた結果なのでしょうね。
理由③:恵まれた身体能力
母・郁代さんの能力を受け継いだ証が数値として可視化され、改めて彼の潜在能力が知らしめられることになったそうです
一定の高さの台から下りて着地と同時に跳び上がった跳躍高と、接地時間から割り出すのが「DJ RSI」。
“バネ”の強さを示す数値で、立石はプロ野球選手の平均2・13を大きく上回る2・83を記録。
白水氏は「この施設にプロの選手も来ているが、トップの数値」と身体能力の高さを認めた。
バレーボール選手だった郁代さんの跳躍力は、息子にまで受け継がれていたようです。
立石さんも無意識に母の現役時代のフォームを意識したりしていたのでしょうか。
スポーツ一家ならではの家族のつながりを感じるエピソードですね。
立石正広の家族構成は五人!


立石正広さんは五人家族です。
父:和広さん
母:郁代さん(旧姓・苗村、元オリンピック選手)
姉(長女):沙樹さん
姉(次女):優華さん
本人:正広さん
オリンピアンである母親を筆頭に、全員がスポーツ経験者のご一家です。
立石正広の父親も野球経験者
立石さんの父・和広さんもまた、強豪校宇部商業高校で野球、バレーボールに打ち込んできました。
名前:立石和広(たていしかずひろ)さん
生年月日:不明
年齢:不明
立石さんの父・和広さんは、野球やバレーボールの強豪校である宇部商業高校でどちらにも親しんできた経験があるそうです。
また、法政大学に通っていた時代にも野球をプレーしていたのだとか。
文武両道で優秀な方だったのですね。
ご家族が野球に触れていたことが立石さんにとってのきっかけになったのでしょうね。
立石選手を異なる道に進ませた父への思い
小学校の頃から野球をやっていて、プロ野球選手になりたいという思いがあった。
背が高くて周囲の勧めもありバレーボールをやるようになったが、
あのまま続けていたらどうなっていたかとか考えたこともある。
ドラフトで注目の的となった立石さん。
前述のように“バレーボール一家”に生まれ、父・和広さんは強豪の宇部商(山口)や法政大でプレー。
母・郁代さんは、バレーボール日本代表として1992年のバルセロナオリンピック™に出場した経歴を持っています。
しかし父・和広さんには幼いころからプロ野球選手になりたいという夢がありました。
それを知っていた正広さんは、「パパは俺に野球をしてほしいんじゃろ?」と言ったのだそう。
和広さんはその言葉を聞き、嬉しく思ったそうです。



お父さんの夢を叶えたいって気持ちが正広さんを突き動かしたんだね。



強い思いが彼を高みへと連れて行ってくれたのかな。
立石正広の母親は元オリンピック選手!


立石さんの母・郁代さんは、元バルセロナ五輪に出場したバレーボール選手をしていました。
名前:立石郁代さん
生年月日:西暦1969年5月13日
年齢:55歳(2025年10月現在)
郁代さんは1992年、全日本に選出されバルセロナオリンピックに出場しました。
実姉の影響で小学3年からバレーボールを始め、兵庫県立氷上高等学校在学中にジュニア代表として、アジアジュニア選手権大会や世界ジュニア選手権大会に出場した経歴を持ちます。
立石さんの華々しい活躍の立役者といっても良い経歴をお持ちのようです。
母より有名な選手になりたい
競技は違えど、同じ日の丸を背負って戦う立石は
「いろいろな人が経験できることではない。お母さんより有名な選手になれれば」と誓った。
引用:sanspo.com
第45回日米大学野球選手権大会(7月8日開幕、エスコンなど)に臨む大学日本代表26人が23日に発表され、
今秋のドラフト会議で上位候補に挙げられている創価大・立石正広内野手は2年連続で代表入り。
「アメリカはレベルの高い選手がいると思う。そういう選手から打てたら、今後のこともすごくポジティブに考えられる」と鼻息を荒くしてこたえていました。
世界を相手に日の丸を背負って戦うことの意味を、母の背中から学んだ立石さん。
そんな母への想いを切実に語りました。



お母さんの思いはきっと正広さんにも伝わっているだろうね。



結果を出し続けてきたのはその証なんだろうね。
立石正広の姉は二人!


長女・沙樹さん


次女・優華さん
立石正広さんには姉が二人いて、どちらも現役スポーツ選手です。
名前:立石沙樹(たていし さき)さん
生年月日:西暦1996年1月11日
年齢:29歳(2025年10月現在)
名前:立石優華(たていし ゆうか)さん
生年月日:西暦1998年3月21日
年齢:27歳(2025年10月現在)
姉の沙樹さん(29)はリガーレ仙台(V.LEAGUE)、
優華さん(26)はクインシーズ刈谷(SV.LEAGUE)でプレーしています。
現役のバレーボール選手で、立石さん自身も幼い頃から母親の練習について行ったり、
姉の春高バレーを観戦に行くなど、バレーボールに親しんできました。
今では現役選手の姉2人とプロテインやトレーニングの情報交換も行っているそうです。
姉弟間の仲の良さが伝わってきますね。
一家で姉の試合を観戦
「毎年東京体育館で、春高バレーみたいな家庭でしたね」。
2人の姉、沙樹さん(リガーレ仙台)と優華さん(クインシーズ刈谷)が、山口県の強豪・誠英高でプレー。
少年時代の立石は、5年続けて応援に足を運んだ。
一家揃って姉の試合を観戦しに行くのが恒例行事だったという立石さん一家。
仲の良さは少年時代から続いているのですね。
さらに父も母もバレーボールをやっていた中で、正広さんだけが野球一筋の道を歩むことになった理由も語られています。
「小さい頃からキャッチボールとかはしていたんです。お父さんが実は、ちょっと野球をやりたかったみたいなんですよね。でも小学校の頃から身長が180近くあって、高くなりすぎたのでバレーを続けて。中学校にもスカウトされて、やってみると意外とできちゃって……で、辞められなくなったらしいです」



野球を始めたきっかけは、お父さんの影響がやはりとても強いようだね。
立石正広の家族に対するネット上の声
立石正広さんの実家に対する、ネット上の声を紹介します。
母親を筆頭に、姉弟揃って華々しい活躍を見せ世間を賑わせる立石さん一家。
今後の活躍もとても楽しみです。
いずれは日の丸を背負い、世界を相手に頑張ってほしいですね。







